第24番 上ノ畑

Kaminohata

曹洞宗 宝沢山 薬師寺

上の畑

銀山温泉の手前3キロ程の処、上柳の薬師寺境内に観音堂がある。もとは温泉街の裏山にあった。

御本尊
聖観世音菩薩 春日 御作
御詠歌
たなはしの かみのはたより ながむれば
あきのたおもて ぼさつなりけり
御利益
諸願成就
住 所
尾花沢市上柳渡戸207
交 通
尾花沢バスターミナルより
バス(銀山温泉行)寺前下車
駐車場
大型・小型とも
駐車スペース有り
御開帳時間
7:00〜17:00
御朱印時間
7:00〜17:00
お問合せ
☎0237-28-2437

歴史・由来

この地方は出羽の国の国境であり、交通が発達していなかった当時としては、ここに道路が開かれたことはたいへん重要であった。土地の豪族高橋信濃は、旅人の安全を祈るため観音を安置した。山の中腹の道路の側に建てられたというが、その年代は相当古いと思われる。貴重な資料も宝物も、度々の火災で焼けたため、何一つ残っていないのは残念なことである。

その頃は、観音堂の下にある東源寺という禅宗の小さな寺が、観音堂を管理していたが、その後、住職がいなくなったままになっていた。安政年間、この村の薬師寺の長老、勇岳が東源寺に来て、復興に力を入れたため、一応面目を新たにした。しかし、その翌年、また、火事のため建物は灰になったが、高橋善左衛門が猛火の中から仏像を取り出し、自宅の土蔵の中に移した。善左衛門は、信濃の子孫であり、たいへん信心深い人であったため、独力で再建を進め、安政四年七月十七日完成した。この辺は、交通上重要な土地で、維新前は大名たちの往復の宿駅でもあった。高橋家は準本陣格であり、祖先以来、観音に奉仕している。上ノ畑は、奥州街道の軽井沢越と呼ばれ、昔は幕府の関所も置かれていた。

延沢銀山は、加賀金沢の儀賀市郎左衛門により発見され、慶長のころ泉州堺の十兵衛によって開発されたといわれている。銀の採鉱は二百年にわたっておこなわれたが幕末のころは衰退し、現在では銀坑跡を「おもかげ園」と称して市の文化財になり、焼き掘という採鉱方法の跡や、大坑道、抗夫の住居跡などが保存され、縁結びの岩薬師が安置してある。

上の畑

上の畑

上の畑